人生とは何でしょう?
それは有効期限のある旅行切符のようなものです。どんな人も旅の終わりが来ます。自分の人生を振り返ってそれが幸せだったと思えれば、よい旅の終わりを迎えられるでしょう。
カメラが今ほど身近でなかったときは「自撮り」という概念はありませんでしたから誰かにシャッターを押してもらわないと記録が残りませんでした。幼少時代の自分はほとんどすべて両親が撮ってくれないと残らないものです。
遊園地での楽しい1日。新幹線が0系だった頃は遊園地の遊具も0系でした。

コインを入れて運転する遊具。今でも見かけますが1973年の当時はいくらだったのでしょうか?

他の写真にちょうどそれがわかるものがありました。右のうしろの看板に10円玉を3ケ入れてくださいとあります。1973年は30円だったんですね。

両親が撮ってくれた写真の中から好きな写真を選んでいくとある共通項があることに気が付きました。背景に時代の空気が写っている写真が面白いのです。1973年という時代は確かに自分は生まれていたのですが記憶はおぼろげです。それを補完するのがクルマや電車や建物です。

クルマの前で撮っている写真がありした。しかし我が家は自家用車を保有したことはないので人の家のクルマであることがわかります。おそらく父親が撮ったのだと思いますがどうして人の家のクルマの前で息子の写真を撮ったのでしょうか?とても気になります。

これは父親の実家がある愛媛の松山あたりの写真と思われます。電停に座っているところをしっかり路面電車が入ってくるタイミングでシャッターを切っています。明確に路面電車を記録に残そうという撮影者の意図が感じられます。

これは母親が撮った写真です。ピントもボケているのですがとてもいい写真です。それは家のディテールが写っているからです。うしろにあるブラウン管の白黒テレビは特に時代を感じさせます。1973年はすでにカラーテレビの時代でしたが白黒テレビなのはこの家の経済事情すら連想させます。
こうして自分が両親に残してもらった写真を見ていると、「記録をする側」と「された側」では意識が違うことがわかります。人生折り返し地点くらいまで行くとそろそろ断捨離して身軽になっておこうという意識が生まれ「何を残し、何を残さないか?」を考えるようになります。
1970年生まれの私は「絶滅メディア博物館」をライフワークとしてはじめたことで意識が変わりました。パブリックに残したいものはすべて博物館に集約する。プライベートで残したいものはほとんどなくなりました。
私が持っている祖父の遺品は博物館に陳列してあるサンキョーのダブル8カメラとヤシカのエレクトロという35mmフィルムカメラだけです。どれだけモノを保存しておいても子孫が引き継いでくれるものは手に持てる程度のものです。
そこで「高円寺の絶滅メディア博物館」で「人生で残すもの、残さないもの」について考えるお茶会を開催することにしました。このテーマについて興味がある方はお気軽にご参加ください。ものへの執着は人それぞれ。多様な価値観の人と意見交換することで自分の立ち位置もわかってきます。きっと新しい発見のある夜になると思います。
「人生で残すもの、残さないもの」お茶会@『高円寺の絶滅メディア博物館』
2023年7月29日(土)19:00〜23:00
2023年7月30日(日)19:00〜23:00
参加費:500円(保存協力費)+1ドリンク
※お好きな時間に来てお好きな時間にお帰りください
※博物館に寄贈品をお持ちの方は2杯目のドリンクが無料となります
※フードの持ち込み・差し入れは歓迎です
それは有効期限のある旅行切符のようなものです。どんな人も旅の終わりが来ます。自分の人生を振り返ってそれが幸せだったと思えれば、よい旅の終わりを迎えられるでしょう。
カメラが今ほど身近でなかったときは「自撮り」という概念はありませんでしたから誰かにシャッターを押してもらわないと記録が残りませんでした。幼少時代の自分はほとんどすべて両親が撮ってくれないと残らないものです。
遊園地での楽しい1日。新幹線が0系だった頃は遊園地の遊具も0系でした。

コインを入れて運転する遊具。今でも見かけますが1973年の当時はいくらだったのでしょうか?

他の写真にちょうどそれがわかるものがありました。右のうしろの看板に10円玉を3ケ入れてくださいとあります。1973年は30円だったんですね。

両親が撮ってくれた写真の中から好きな写真を選んでいくとある共通項があることに気が付きました。背景に時代の空気が写っている写真が面白いのです。1973年という時代は確かに自分は生まれていたのですが記憶はおぼろげです。それを補完するのがクルマや電車や建物です。

クルマの前で撮っている写真がありした。しかし我が家は自家用車を保有したことはないので人の家のクルマであることがわかります。おそらく父親が撮ったのだと思いますがどうして人の家のクルマの前で息子の写真を撮ったのでしょうか?とても気になります。

これは父親の実家がある愛媛の松山あたりの写真と思われます。電停に座っているところをしっかり路面電車が入ってくるタイミングでシャッターを切っています。明確に路面電車を記録に残そうという撮影者の意図が感じられます。

これは母親が撮った写真です。ピントもボケているのですがとてもいい写真です。それは家のディテールが写っているからです。うしろにあるブラウン管の白黒テレビは特に時代を感じさせます。1973年はすでにカラーテレビの時代でしたが白黒テレビなのはこの家の経済事情すら連想させます。
こうして自分が両親に残してもらった写真を見ていると、「記録をする側」と「された側」では意識が違うことがわかります。人生折り返し地点くらいまで行くとそろそろ断捨離して身軽になっておこうという意識が生まれ「何を残し、何を残さないか?」を考えるようになります。
1970年生まれの私は「絶滅メディア博物館」をライフワークとしてはじめたことで意識が変わりました。パブリックに残したいものはすべて博物館に集約する。プライベートで残したいものはほとんどなくなりました。
私が持っている祖父の遺品は博物館に陳列してあるサンキョーのダブル8カメラとヤシカのエレクトロという35mmフィルムカメラだけです。どれだけモノを保存しておいても子孫が引き継いでくれるものは手に持てる程度のものです。
そこで「高円寺の絶滅メディア博物館」で「人生で残すもの、残さないもの」について考えるお茶会を開催することにしました。このテーマについて興味がある方はお気軽にご参加ください。ものへの執着は人それぞれ。多様な価値観の人と意見交換することで自分の立ち位置もわかってきます。きっと新しい発見のある夜になると思います。
「人生で残すもの、残さないもの」お茶会@『高円寺の絶滅メディア博物館』
2023年7月29日(土)19:00〜23:00
2023年7月30日(日)19:00〜23:00
参加費:500円(保存協力費)+1ドリンク
※お好きな時間に来てお好きな時間にお帰りください
※博物館に寄贈品をお持ちの方は2杯目のドリンクが無料となります
※フードの持ち込み・差し入れは歓迎です
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