【はじめに】

1980年代後半の家庭用動画カメラは8ミリビデオやVHS-Cが主流であった。しかし大阪芸術大学の映像学科の1年生から2年生の実習は8ミリフィルムで作品を提出するのが必須。市場には8ミリフィルムカメラの新製品はなく10年落ち以上の中古カメラを探すしかなかった。先輩が持っている8ミリカメラを貸してもらったり中古カメラ屋で探して調達し撮影した。大学内の学食前にはカメラ屋がありシングル8やスーパー8のフィルムは購入できたし現像の受付も行っていた。授業の実習とはいえフィルム代や現像代は当然自分持ちだったので映像学科生はつねにフィルム代を稼ぐためにかけもちで多くのバイトをした。3年生以降は16ミリカメラでの実習となり学校の研究室が保有している機材を借りて撮ることになる。16mmは8mmとは桁違いにフィルム代・現像代がかかることからあまり実験的なものは作れなくなりしっかりと計画した行うチーム実習となった。ひとりの監督が脚本も撮影も編集も何でも手掛ける8ミリフィルム実習には16mmとは違う「自由の香り」があった。

【1988年作品/カラー/3分21秒/Single 8/FUJICA Z400/当時18歳】

「憧景」(脚本・撮影・編集・監督:川井 拓也)
大阪芸術大学の1年生時にファーストピクチャーズショー出品のため初めて8mmフィルムで撮影・編集した作品。先輩に借りたFUJICA Single8の18コマで撮影している。前半と後半のディゾルブカットは前半最終カットの撮影後にフィルムを戻して後半の最初のカットを重ねる多重露光の一発撮り。
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【1989年作品/カラー/4分19秒/Single 8/FUJICA ZC1000/Z400/当時19歳】

「映画はつらいよ」(脚本・撮影・編集・監督:川井 拓也)
リュック・ベッソン監督の「サブウェイ」のスピード感に影響されて制作。大阪芸術大学の2年生時に制作しファーストピクチャーズショーで優秀作品にノミネートされた。スタントと主演の声のアフレコも監督がやっている。その後TBSで放送されていたイカ天の後番組「三宅裕司のえびそり巨匠天国」に出品するも「異人たちとの夏」「ウルトラセブン」などの脚本で知られる市川森一氏に「キャリアの初期にメイキングものというのはあまり感心しないな!」と酷評されあえなく銅監督止まりとなる。言われてみればその通りである。
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【1989年作品/カラー/3分23秒/Super 8/ELMO 600SD/当時19歳】

「スケッチ」(脚本・撮影・編集・監督:川井 拓也)
大阪芸術大学の2年生時にファーストピクチャーズショーに出品しグランプリを受賞した作品。「アオイホノオ」などでも取り上げられたファーストピクチャーズショーはこれが最後となり次年度からは2年生も8mmではなく16mmでの演習になった。ELMOのSuper8カメラで撮影。スケッチ以外の大部分を埼玉県所沢市の航空記念公園でロケしている。出演している老婦人は館長の祖母(故人)である。冒頭の鳩が飛び立つ音は恐れ多くもあのビー・・・のアクロスユ・・からのサンプリングである。曲は尺に合わせるため強引にスロー再生で録音されている。
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【参考映像】



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