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1950/昭和35/日本国有鉄道車両局監修/蒸気機関車の80年/交通社会科のしおりNo.2/交通博物館発行/汽車・汽船・自動車の知識は交通博物館で/万世橋/大人20円!子供10円/都電須田町下車/

【Photo】
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【Explanation】

汽車・汽船・自動車の知識は
交 通 博 物 館 で

 交通機関の研究に、交通社会科の勉強に、
交通博物館は学生たちの必ず一度は見学す可
きところです。交通博物館には日本最初の1
号機関車を始め歴史的な機関車や御料車の実
物が保存され、又各種交通機関の模型や説明
図板等、数千点が陳列されています。

開館=毎日午前9時〜
   午後4時(月曜休館)
   入場料
   大人 20円
   子供 10円
   団体3割引

北海道最初の弁慶号

東京都千代田区神田須田町1の25
国電・秋葉原駅・神田駅・都電須田町下車

## “蒸気機関車の 80 年” 解説

表の絵は日本の鉄道の開通当時から現代迄の蒸気機関車のうつりかわりを示したもので、次に簡単な説明を述べて見よう。

開通当時の機関車はすべて英国製で、1号機関車のような形が多く、これで客車も貨車も引いてゐた。京都―神戸間には2号や30号のようなテンダー機関車も使われてゐた。

善光号機関車は輸入当時隅田川を遡り川口市の善光寺裏に陸揚されたので「善光」と名づけられた。この車はタンクがボイラの上にまたがつてゐることとシリンダが外に出てゐないことも珍らしい。

東海道全通の頃になると、機関車もやゝ大きくなり、500形や1800形が使われ、長い区間には5500形のようなテンダー機関車も出て来た。

これより前明治13年には北海道にも鉄道が敷かれて米国から機関車の輸入をし、これらの機関車の最初のものは、「辨慶」「義經」などと名前がつけられた。

明治26年横川―軽井沢間の有名なアプト式線路が開通し、これに備える機関車は3920形他3種類あつた。絵では煙突が妙であるが、トンネルが多いので運転室に煙が入らないように工夫されたものである。4500形はかなり後に独逸から輸入された。これも勾配線用として作られたもので前後に2組の機関を持つてゐる。

明治30年頃は鉄道が大発展して増々大きい機関車が要求され、2120形や6200形、其他米国独逸からも多くの機関車を買い、明治26年神戸工場で初めて機関車を製り、明治33年には早くも9150形のような大形機関車も製るようになった。日本鉄道の9700形は、当時常磐線の石炭輸送に特別なき機関車が必要になって米国に注文したもので、今迄世界にない車輪配列であったため、以後この形を、帯の国で作った故を以てミカド形と称するようになったものである。

此後明治39年から鉄道は国有となりそれ迄の官設鉄道、私設鉄道の機関車其他車輌は全て整理され、形式が定められたのが、500、2120、6200などと称する呼び方であった。
明治末期には鉄道は増々乗客貨物が増加して、こゝに新たな大型機関車が必要となって、米英独から輸入した。

これ等の機関車は全てそれ迄の機関車とは格段の相違で優秀な成績を上げたばかりでなく、其後日本で機関車を作る為に非常に参考になった。これにより作り出された種々の機関車を次に示してある。大正8年C51形が製造された。この機関車は当時狭軌鉄道のものとしては世界最大であった。

次てD50形、昭和に入ってからはC53形が現われ、タンク機関車にはC11、C12形等が続々作られた。其後旅客用貨物用共にC54、C55、C56、D51と改良を加えて、C57、C58、C59が作られた。

現在の主要幹線にはC57、C59、D51、D52が多く使用されており、戦争中作られたD51、D52の貨物用機関車の一部は戦後旅客用として改造されC61、C62となった。これ等の機関車は現在重量旅客用として活躍してゐる。

現在一番新しい機関車としてE10形がある。急勾配線用機関車として、4110形が老朽してしまったので、その補充として作れたものである。

以上示した機関車はそれぞれの時代に於ける最も代表的なもので、開通後今日迄の機関車の種類は未だ、百数十形式に上るものであることを附記しておく。

## 日本の蒸気機関車80年の歩みと発展

## 1. 鉄道開通の時代(1872年〜1880年代)
日本の鉄道は1872年(明治5年)に開通した。最初期に導入された機関車はすべてイギリス製(英国製)であり、150形(後の1号機関車)や5000形、7030形などが京都・神戸間や新橋・横浜間で旅客・貨物輸送を担った。また、日本鉄道の建設にあたっては「善光号(1290形)」が初めて使用された。1880年(明治13年)には北海道にも鉄道が敷かれ、「弁慶号(7100形)」などの米国製機関車が導入されて独自の発展を遂げた。

## 2. 東海道線全通と鉄道の発展(1890年代〜1900年代)
1889年の東海道線全通に前後して、機関車は大型化していく。明治20年代には英国製の500形や5500形、貨物用の1800形や米国製の8150形などが活躍した。また、明治26年には横川・軽井沢間の急勾配に対応するため、ドイツからアプト式の3920形(後の4500形)が輸入された。明治30年代後半になると、日本鉄道が米国から輸入した9700形(ミカド形)を筆頭に、2120形、6200形、9150形など多種多様な機関車が国内外から集まり、日本の鉄路を支えた。

## 3. 国産化への移行と大型機関車の時代(1910年代〜1920年代)
明治末期から大正時代にかけて、旅客輸送量の増大に伴いさらなる大型機関車が必要となった。1910年(明治43年)頃には独国製の8850形や、日本初のパシフィック形である米国製8900形などが輸入され、これらを参考に国内での機関車製造(国産化)が本格化する。

大正時代に入ると「ハチロク」の愛称で知られる旅客用の8620形や、貨物用の9600形といった国産の傑作機が登場し、長きにわたり運用された。さらに、大正8年には当時の狭軌鉄道としては世界最大級を誇ったC51形が製造され、国産大型機関車の技術を確立した。

## 4. 特急「つばめ」の誕生と黄金期(1930年代)
1930年(昭和5年)に特急「つばめ」の運転が開始されると、日本の蒸気機関車は黄金期を迎える。この時代には、C51形より強力な3気筒(3シリンダー)機関車であるC53形や、国産初のミカド形貨物機関車であるD50形が誕生した。さらに、のちに大量生産されることとなるタンク機関車のC11形やC12形が続々と作られ、地方線区の輸送効率化に大きく貢献した。

## 5. 技術の極致と現代への継承(1950年当時)
昭和に入ると、さらに改良を重ねたC54形、C55形、C56形、D51形、C57形、C58形、C59形、D52形などが相次いで登場した。戦中・戦後の混乱期を経て、戦時中に作られた貨物用の大型機D51形やD52形の一部は、旅客用へと改造されてC61形やC62形へと生まれ変わった。特にC62形は、日本最大の急行用機関車として東海道本線などで重旅客牽引に活躍した。また、急勾配線区用の機関車として、日本で最も動輪の数が多いE10形などが登場し、蒸気機関車の技術は一つの到達点を迎えた。

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